基礎

目次

1.ターゲットゾーンに来るまで待つ

2.予想は「科学」、願望とは別物

3.科学的アプローチ技術の向上

4.感情(好き嫌い)を捨てる

5.万物流転、固定観念を捨てる

6.事故(故障・落馬)はあきらめる 

7.準備「薄い」勝負はするな!

8.情報の加算減算は同じ方向だけ!

9.餅は餅屋に任せる!
10.敵は「他の馬券購入者」!
11.敵と同じ方向の勝負は割が悪い!
12.敵の判断ミスに乗じろ!
13.アナログ情報を大切に
14.情報活用の注意点(主従の比重)
15.競馬を取り巻く関係者の思惑
16.騎手の技量の影響について

1.ターゲットゾーンに来るまで待つ

日本プロ野球の最高のバッター、落合選手は不調になると

暗がりでスイング

をしたといいます。ターゲットゾーンにボールが来たときのベストスイングの感覚を呼び覚ますためだとか、、、、


「あれも打とう、これも打とう」


とすると、「ボールを叩く」より、

「当てにいく、合わせにいく」意識が、

スイングの軌道、スピード、力強さ、

フォーム(バランス)を崩すそうです。


「ターゲットゾーン」にボールが来るのを待ち、そこにベストスイングをぶつける!!

これが大切だと説かれていました。


馬券購入にも、この「教え」は通じます。


毎週毎週、勝てる確信がないのに、全てのメインレース、特別レースを買っていませんか?ハズレるレースに投じる金をセーブできれば、回収率は格段に上がります。野球のバッティングの打率と同じです。


バッティングは、「ターゲットゾーンに来ない」ボールでも、打ち難い(手が出ない)ストライクはあります。デッドボールもある。のけぞらされて、ベストスイングのための踏み込む勇気を揺さぶられることもある。


そういったボールへの対処をしながらの「待ち」なので、非常に難しい。落合選手の教えは示唆に富んでいても、本当に実践できるのは一握りの名選手だけ。


突っ立てて、「待ち続け」たら「見逃し三振」だから、、


でも、馬券で「待つ」のはバッティングに比べたらはるかに簡単です!


待ってても三振アウトっ!にはならない。

誰にでもできます!

待てるのですっ!

自信のないレースを買わなくても、何も損しないんですから・・・。

やるべきことは、欲を抑えて、我慢(笑)!

自信がないレースに、無理に◎とか▲とか、我田引水のような理屈を「こじつけ」て、序列をつけにいく習慣がついてしまうと、「予想の本質」がわからなくなってきます。いったい「どういうケースが勝てると確信できるのか?どの予想要因が決定打になるのか?」を見極める力がドンドン低下し、以前なら的中できていたレースさえ


当たらなくなります・・・


自分の本命馬(確信がないのに、毎週、惰性で予想して、目先の欲望、願望で打った自分の◎馬)が負ける姿を見すぎると、、、


全てに疑心暗鬼になってくるからです。よりどころとする予想の核、中心、セオリーがなくなってくる・・・

「なんでもありじゃねえか、、それなら毎回、穴馬を買うしかねえじゃねえか!」


こういうメンタリティに陥る。


われわれが思っている以上に、レースにおける馬の強弱関係は拮抗していて、かつ「見えない思惑(仕上げ度合い)」や「馬の変調(これも見えないものが多い)」もあり、ほとんどのレースは、当てるのが非常に難しいんです。「この馬が勝つ!」と確信できる要素が非常に少なくて、複数回同じメンバーで同じレースをしても、勝ち馬がころころ変わる可能性があるレースがほとんどなんですよ・・・


だからこそ、買うレースを「自信の持てるケース」に絞るために、


入念な準備(調査・分析)を怠らず、

「ターゲットゾーンにハマッた」レースだけに的を絞って、ベストスイングで「思いっきり振り切って!ぶっ叩いて」狙い打ちで、かっ飛ばしたいですね!

的中率を上げることは、目先のレースを当てること以上に、、、

「本当に勝てる!」

という感覚を科学的・統計な観点から

「確信がもてるようにすること」

の方が大切なんですよ。

その確信がなければ金は賭けられない、、

たとえ、的中率が7割程度(3割外れても)だとしても、その的中率が安定的に維持できるのは「こういう場合」という統計、理論的背景が把握できればいいんです。それが

科学的アプローチです。
 
そうすれば、未来に向けての、確かな資金計画が建てられるってことになる!

これは、とっても重要なんです。よく予想家にも素人にも「俺の◎はこれ!絶対勝つ!」と、言いながら、一円も馬券を買ってない人がいる。

それは確信になってないんです!

勝つか負けるかわからないようなケースに、曖昧な根拠のままに、「白黒の結論」を無理矢理つけることを続けてはならないんです。まとまった金を賭けることを躊躇するような本命印を打って、そこに小金を投じるくらいなら、「わからない!賭けない!」で、いいんです!例え、小金でも塵も積もれば、、です。肝心な勝負のときの弾が枯れてしまう。

購入を「見送り」にして、「あきらめる」ことも必要です!


2.予想は「科学」。願望とは別物

ギャンブルからの脱却のおすすめ!


「予想」は科学的アプローチであるべきです。一方、「願望」は欲です。だから、これら2つは、しっかりと分けましょう。


「科学的アプローチ」とは、ある事柄を考えたり、調べたりする時、そのアプローチ方法が同じならば、いつ・どこで・誰であったとしても、同じ答えや結果にたどり着くことができる「再現性」を備えたものを指します!

「競馬予想全般が科学的」

なのではなくて、、、

儲けるための予想は、、、

再現性」が期待できるように、その科学的精度(因果関係の理論的、統計的な確からしさ)を磨き上げなくてはならないということてす。だから、そこに「願望」という非科学的な不純物を混ぜてはいけない。


科学的根拠がない「願望」に基づく予想・馬券購入は「一か八かのギャンブル」です。私は、科学的なアプローチによる「ギャンブルからの脱却」をおすすめします。馬は生き物だし、レースによっては、馬の強弱以外の我々には見えにくい思惑も絡むから「全てのレースが予想どおり」にはなりませんが、そういうケースは、参加しないようにして(購入見送り)、、

10回に6〜7回位

は当たるようにしましょう!


これは、今の試行回数(馬券購入レース数)を従来通りのまんま、的中回数を増やせ!!という難しいことを言ってるのではなく、
「的中するのが困難なレース」を減らしてやることのおすすめでもあります。ハズレ回数を分子から減らすだけでなく、その可能性が高いレースを分母から減らすことによっても実現できるんですからっ!


だから、、、

科学的アプローチ(予想)と、レース選定(科学的に解明できるレースだけ購入対象にする。)、そして我慢(科学的に解明できないレースは、ビッグレースでも買わずに見送れる忍耐)が、的確にできれば、飛躍的な予想力向上(的中率、回収率向上)は、十分に可能なんです。


買いたい馬(願望)が「科学的アプローチ」で有力候補に挙がらないのであれば・・・

あるいは「科学的アプローチ」の結果、買いたい馬以外にも、多くの勝ち馬候補が挙がるのならば・・・


そのレースは見送るか、小額にとどめるべきでしょう!


3.科学的アプローチ技術の向上

敢えて「的中率の向上」と書かなかったのは、上記のとおり、競馬・馬券を楽しむ人にとって、、、

レースの購入を見送る

という耐え難い苦業が前提になる「心構え」だからです。科学的アプローチ技術の向上とは、つまり、、、

「わからないことはわからない」

というスタンスを明確にすることが含まれます。競馬のレース結果には、自分の知見、経験、分析力では、どうにもならないケースが

相当な回数(レース数)あること

これを受け入れないといけない。ある意味、仏教用語でいう「諦観(あきらめ)」です。そして、その際、実際に求められる行動は

「わからないレースは馬券を買わない」
「難しい(混戦)レースは買わない」

ということです。

馬券ファン(際限なき欲望の塊(汗))にとって、その耐え難い苦業である「買いたいのに買わない(わからない、難しい)」回数を

減らすには、「わかる、当てられる」回数を増やすことです!予想力を高めることと言ってもいいでしょう!

レースの距離、馬場状態、クラス、騎手、厩舎、血統、馬主、購入価格、枠順、季節、、

そういう多くの要素を元にして、、

「こういうケースなら7割は当たる!」

と言い切れる分析・予想力を磨き(豊富な知見も)、的中できるケースを増やすこと。
そうすれば、苦業である「見送らなければならないレース」を減らすことができますからねっ(汗)!!

だからこそ、自分の予想の科学性を徹底的に高める!つまり勉強です。調査、研究ですっ!とことんまでにっ!!

それができないのであれば、

科学的なアプローチで、結果を出し続けている「その道プロ」に頼るのです!その人に

「安定的、継続的な高回収率」

を期待できるなら、あなた(自分)が儲けるために、あなたに必要とされるのは、資金管理のみですっ!!


4.感情(好き嫌い)を捨てる

馬、騎手、厩舎に「好き嫌い」があっては科学的アプローチが絶対に「ブレ」ます。


そういう感情が捨てられるのが一番ですが、無理なら「そのレース」は見送りましょう!


嫌いな騎手が有力候補に乗るなら「レース自体の購入」見送る!これができないと、致命傷になります。

そのレースで負けるだけでなく、予想の科学性のバランスを崩すだけでなく、願望通りにならない結果について、怒りの感情、自己嫌悪の感情が生まれてしまい、全てを失うことになります。


5.万物流転、固定観念を捨てる

サラブレッドのレースでの発揮能力を左右する多くのことが、時間の経過とともに、大きく変化します(万物流転)。


一番顕著なのは、馬の心身の成長です。


最終的に一流オープン馬になるような馬が到達する「身体能力」に、それほど大きな差はありませんが、2歳でデビューしてから5~6歳になるまでの


成長速度


は血統や厩舎、育成牧場の方針やら、馬の個性(心身の)に合わせた育て方により、全然違います!!


よって、若駒のころの「能力差」などを尺度に強弱関係を把握していると、

「なんでっ!!」

と叫びたくなるような逆転現象に、毎週のように遭遇し、絶望の淵に叩き落とされます。


個々のサラブレッドの能力の限界を、自分が調べた時点での水準で「固定されたものと決め付けたり」せずに、成長・変化因子(「血統からの成長曲線」、「育成牧場や厩舎の育成手腕」や「騎手の乗り代わりによる変化」)をしっかりと、一回一回のレースごとに見極めましょう。 


そのためには「丹念な調査」が必要です!!

 

また、短い時間軸でいうと、サラブレッド自体ではなく、レース環境の変化にも目を配らなくてはなりません。


「レースのすべての条件が揃うのはレース直前」です。天候、馬場、馬の状態など、レース直前まで変動しますから、一週前とか何日も前に「これに違いない!」的な思い込みをしすぎないように(せっかく時間かけて予想したのに!という「もったいない感」で、一旦出した結論に固執して、後戻りしにくくなる。)。


6.事故(故障・落馬)はあきらめる

事故は、必ず一定の割合で発生します。

故障・落馬ほど悲惨な事故でなくても


進路が塞がる(自分の本命◎馬の)


といった致命的な不利発生もあります。


「あきらめる」というのは、そういったケースを見越しての(自分の本命◎が事故にあった場合)


「押さえ馬券」


は、一回一回のレースでは、買わずに、その不運な回は、「あきらめなさい!」


ということを言っています。


事故のリスクへの対処は2通りあります。


1回1回の試行(馬券購入)において、毎回、事故を見込んだ「押さえ馬券」を一定比率で購入して、備える方法。

もう一つは、「一切、事故前提の押さえ馬券を買わずに、毎回の馬券購入額を一定にする」方法。こうすることによって、理論的には、事故の平均的な発生比率以上の損失は受けずに済むことになり、1回1回、事故に備えた保険的な馬券を買わずとも、その代替効果を果たすことができます。


上記2つの方法のうち、私は後者を採択すべきだと言ってます。


名門厩舎の期待馬に名騎手が乗っていれば、そういう心配は非常に低くてすみます。高額な素質馬は、調整、育成力に長けた厩舎に入るし、大切に扱われ、そして名手(騎手)は、馬に負担をかけないし、危険察知・回避能力に長けてます。


ですから不幸な事故発生が、せいぜい10回に1回程度起きるのであれば、10回均等の馬券購入金額であれば、1割の損失で済みます。


これを毎回の馬券に組み入れると、おそらく10%の「押さえ馬券金額比率」ではすみませんよね?

それにそもそも、落馬や事故は「狙っている◎馬」だけに発生するものではなく「対抗馬」にも「穴馬」にも起こりますから、本当に毎回毎回それを心配していたら「押さえ馬券」金額比率はドンドン膨れ上がるし、予想も大変です・・・


1着~3着を検討することの延長にある4着想定馬が、事故が発生した場合に「漁夫の利」にありつける馬と同じとは限りませんしね・・・


仮に1~3着馬の序列化の延長上、つまり4番手序列馬が、事故発生時の「漁夫の利」3着以内になる馬だとしても、その4番手を特定する予想にかかる時間は、膨大にかさむ可能性があり、予想効率も下がります!!


以上から、「そういうリスクがそもそも少ないレース(厩舎、騎手)」を選ぶことが肝要だし、その上で発生してしまったら、それはそれであきらめるというスタンスが必要だと思います。


7.準備「薄い」勝負はしない

単純な「馬の強弱比較」だけでは、レース着順の序列は決まりません。新聞をサッと見て「これが強い」なんて、短時間で結論が出せることなんて、ほとんどないです。「各陣営にとってのレースの位置づけ、馬のコンディション、教育・矯正中の悪癖の治り具合」他エトセトラ、、、それらを入念にチェック(準備)し、根拠に欠ける推定や、希望に基づく妄想を積み上げず、わからないものは「わからない!」を結論にしますっ!

予想に時間がかかる混戦、
「難解で配当の妙味がありそうなレース」
は、推理ゲームとして面白いだけで、儲けには向きません。そのレース予想に時間をかけすぎず、「配当が低くても簡単に科学的に序列化できるレース」を数多く発掘することに時間を使いましょう!なかなか結論が出ないということは、力の差が極めて拮抗してるか、「あなたには、もう力差を認識するノウハウも情報も、それ以上ない」ということでしかないのです!

8.情報の加算減算は同じ方向に!

たくさんの情報(序列化の要素)を「能力評価プラスの方向」、「能力評価マイナスの方向」に足したり、引いたりすることは、極力避けましょう。

そういう足し算引き算の結果として「こっちが強い」というのは、その「足し算引き算」のアルゴリズム(計算式というか、数式の考え方)が正しいかどうかわからないので(大抵は自分の希望とする「落としどころ」に向けて恣意的な重みがついちゃう)。「Aという馬がBより明らかに強い」というのが、「主となる比較要素」で序列化されている場合に、付属的な比較要素(情報)で、「Aの方がBよりもいい」というダメ押し(Aの勝ちを決定的にさせる意味での)に使うようにしてください。それが「情報は同じ方向に(プラス評価の馬の更なるプラス)」という意味です。

「主たる比較要素は、AがBより勝ってるけど、付属的要素でAは、僅かに割引、Bは、僅かにプラスなので、微妙だけど、BがAを逆転する」

こういうのをやめましょう!ってこと。

マイナス情報を使ってはいけないという意味ではないです。マイナスがあった場合には、根拠の薄い足し算引き算加減で優劣を逆転するのではなく、「その結果、序列が曖昧になったので、わからない!」と、潔く撤退(買わない)することを検討した方がいいということです。

9.餅は餅屋に任せて!

時間が有限であることと関わります。ものすごくたくさんの情報から判断するので、独力収集・判断は無理です。使えるものは使いましょう(情報)。ただし「信じるに足る(実績のある)」一流のものだけにしましょう。
(状態(調教)を見れる一流。血統評価の一流。走法評価の一流・・・・)!そして自分が「何の一流なのか?」は、自分で決めておきましょう。

10.敵は「他の馬券購入者」!

みなさんがわかりきった当たり前のことですが・・・

海外の馬券は「ブックメーカー」が、あらかじめ「オッズを固定」で受け付けるタイプが主流ですが、日本の馬券は、

パリミューチャル方式といって、


11.敵と同じ方向の勝負は分が悪い!


12.敵のミスに乗じろ!

馬券購入の際の敵は、常に「他の馬券購入者」です。他の購入者のミス、というか「購入時の甘さ(好走する可能性が極めて低い馬を思わず買ってしまうような甘さ)が発生するケース」を狙って、その結果旨味が出る馬券を買いましょう。これについては、「馬券の種類」のコーナーで「死票発生ケース」を説明します。

13.アナログ情報を大切に!

なんでもかんでも「数字!数字!」で、数字以外の要素を予想に入れないのはだめです。デジタル信奉者は、往々にして決定的な何かを見落とす可能性が高くなります。

なぜなら、競馬は勝てばいいわけで、前の馬がチンたらスローなら、それについて行って、ゴール前だけ、ちょっと追って、疲れを残さずに、ゴール前、僅かでも前に出て勝てればいいこともあります。

そうすると、そんなレースのラップを分析したり、ハイペースで走った他の馬とタイムやラップを比較しても、ほとんど意味がありません。

レース中の馬の動作、フォーム(時計には絶対に出ない)、血統情報などのアナログ情報からも何かを得ようとしないと、本質を外します。

14.情報活用方法の注意点

予想するための情報の種類には大別すると

以下の①~③

があります。大切なのは、いかに「労をいとわずに②と③を収集することに励むか」です。ただし、せっかく②と③を集めても、何の意味もなくしてしまう愚行について、注意しておきましょう。

① 誰もが入手が容易な情報
 (主に競馬メディア情報)

② 入手するのが面倒な情報
 (情報の所在はわかるが、入手が手間) 

③ 一定程度の「学(経験則含む)」や
 「卓越した着眼点」

②、③は、他の馬券購入者との差を生む要素になりうるわけですが、①が決定的要素情報であるのに対して、②や③は、どこまでいっても付属的、補足的情報であるケースが多いです。②や③が母屋の①要素を喰ってしまって、「厚化粧」しないように注意しなければいけません。端的な例を言うと、血統論を振りかざしすぎて、G1を何連勝もしている馬を「この馬は血統に問題があって今回は、オープン特別を買ってきた良血馬に負ける。」というような予想ですね。そこまで極端なケースは心配してませんが、自分の予想に独自性を出したいあまり、「従が主を上回ってしまう」ということは、よくあることので注意が必要です。「そんなこと誰でもわかるぜ!」という当たり前のセオリーが軽んじられることは、意外に多いものです。よくよく自分の集めた情報が「全体の中で占める比重」を冷静に測った上で活用するようにしましょう。


15.競馬を取り巻く関係者を知る

競馬を取り巻く登場人物の目的や行動原理を理解しましょう。

彼らの利害の背景にある原理・原則を理解しなければ、1回1回のレースに向けて「どういう目的のために、どういう準備をしてくるか?」を履き違えたまま予想することになります。

【毎回、全身全霊じゃない!】

必ずしも毎回毎回「全身全霊で後のないフル仕上げで、フル能力発揮」を狙ってるわけではないし、レースの何たるかをわからない馬(教育途上の馬)、身体のできてない馬は、「デビューしたての頃」はもとより「初めての競馬場」や「初めての距離」、「初めての急坂」、「慣れない速いペース」には、驚くし戸惑う。それらを都度、受け入れ、判断して「走り方を臨機応変に変化させる(で、勝つ)」ことなどできないので、「人の思惑通り」には動きません。

毎回毎回、そういう事情を確認しながら、「今回は慣れさせるのか?勝負なのか?」を見極め、丁寧に、緻密に予想しないと、正確な比較などままならず、「勝てる予想」には到達できません。

【競馬主催者の目的】

「的中できる!」と思える買い目(結果)に「そこそこのオッズ」がつくからこそ、人は馬券を買うわけで、「予想どおりの順当な結果が大半を占める」と、馬券購入者が安心感を持てることが、主催者にとっては重要な命題です。

ただし、順当な結果ばかりが続き、そこに馬券購入者の投票が集中し、「1倍台前半!」の低配当ばかりだと、「安心感」を与えることができても、「儲からないし、つまらない!」となってしまい、馬券は売れなくなります。

だから、競馬の主催者は「混戦」、「番狂わせ」も適度に発生させて、馬券購入者の的を絞らせないようにしたい。そうすることで、「順当な結果」に過度な投票集中が起きずに、本命馬が勝っても「そこそこの配当」がつく。なんだかんだ言っても、皆困ったら「2倍位のオッズのルメール」を買うように、安心して買える「そこそこ配当」馬券が競馬に求められる基本要素です。

順当結果を主体としながらも、「実力拮抗で勝ち馬予想に迷う混戦レース」や、「荒れる番狂わせレース」を時々起こすことは、競馬というギャンブルレジャーを成り立たせるために主催者にとって必要です。だから「予測可能な順当結果」にならないのは何故なのか?主催者の望む「拮抗・混戦、番狂わせ」が発生するメカニズムを把握して、そこを避けて通る技術を身につけることが「勝ち」に近づく第一歩。そういうものを事前察知して避けて「素直な予想で、そこそこ配当」の馬券だけに絞ることが肝要です。

よく「このコースは、公平じゃない!」と、負けて嘆く人がいますが、主催者からしたら公平でなくていいんです。

ま、敢えて不公平さを出そうとはしないでしょうけれど、競馬がオープンコース、横一線のスタートゲートになっていること自体、もうそこから

超不公平(汗)

ですからね、、、
さりとて、セパレートコース、外枠の方を前に!なんて、現実感ないですからね、、、

ここでいう「拮抗、混戦、番狂わせ」が発生するメカニズムを把握するということと、「その混戦・番狂わせの結果が予測できる」ということは同義ではありません。荒れるレースの結果を言い当てることは稀には可能ですが、計算が立たず、今回の目的(安定的、継続的な高回収率)には、そぐわない。「予想し難い結果」だから番狂わせであり、高い配当なのです。

【メディア(新聞・WEB)の目的】

メディアの目的はメディアの売り上げ(利用頻度)を増やすこと、つまり購入者、閲覧会員を増やすことです。

そのためには「的中実績」も大事ですが、むしろ「読んでみたくなる面白いコンテンツ」であることの方が大事。単なる「◎や〇」という印だけの提供なら、一般的な見解は、誰でもわかっているし、Web上で玄人顔負けの一般ファンの無料予想配信(ブログやホームページ)はいくらでもあります。

「売れる・見られる」メディアには、「独特な予想アプローチ」や、「鋭いデータ分析」が必要な時代です。今の時代、「新聞の印どおりに買う」という馬券ファンは多くないはずで、「多様な予想のファクターを自分で料理して、自分独自の見解を組み立てて買う」というのが主流のはず。

メディアに求めているのは「予想」というより「クオリティの高い情報」でしょう。このことが何を意味するかは、冷静に考える必要があります。

メディアが馬券ファンに提供する予想ファクター(情報・見解)が多ければ多いほど、馬の序列化は難しくなり、予想上は「混戦」になる。このことによってレースは、レース前から大いに盛り上がり、馬券全体の売上に大きく貢献し、まさに主催者の望むところになるわけですね。

ただし、我々が馬券を的中させるという意味においては、それらの多くの情報をうまく使わないと、「処理しきれない情報の多さに埋もれたり、踊らされたり」して、かえって的中から遠のくことになってしまう。

例えば、競馬記者の記事で典型的な独自情報(取材やデータ分析)として、「特選情報」というのがあり、それらは特定の馬の「個性や能力」を徹底的に掘り下げてフォーカスしたもので、その情報に「対象レースの競走相手の15頭の馬との比較(16頭立ての場合)」という視点は、往々にして触れられてない。「これだけ凄いんだから、走るに決まっている」という論調。もちろん、1人の取材記者に「他の馬についても掘り下げ取材する時間も、紙面も」与えられるはずもなく、我々も求めてはいないし、そういう情報は、他馬との比較がなく「単独記事」であっても、「予想の決め手」を渇望して迷っていたところに飛び込んできたら「貴重で価値ある情報」に見えるものです。

ただし、そういう「特選馬」は、たくさんの記者が、各々担当の異なる自分の取材領域や懇意にしている人間関係(調教師、厩務員、騎手、馬主)から、それぞれ見つけてくるから、1レースで何頭も出てくる。

それを片っ端から読み漁ったとして、果たして的中に近づくことになるのか?近づくこともあるだろうし、役立つ情報は非常に多いが、多ければ多いほど正解に近づくかというと、そうとは限らないと思う。自分の予想の「核」とか「幹」があって、特選情報を「どこまで集めて(どういう記者?どういうソースの?)、どの程度の比重で予想プロセスに取り込むのか?」が確立していれば問題ないのですが(まさにそういう隠し味をまぶしながら料理を作っていくことが、予想の醍醐味でもある。)・・・・

ライトな競馬ファンは、多くの情報を得ようとすると、金も時間もかかる。それにどの記者、どのソースが価値があるのか?は、なかなか見極めも難しく、多くを見すぎることで、「本当は混戦でないのに混戦に見えてきてしまう」こともあります。

「どれも良く、強く見えてきて、迷いに迷ってしまったが故に、予想時間の長時間化」を招いた上に、多くの評価尺度の重みを的確に適用・活用することができず、序列について決断することが極めて困難になり「正解に到達する」ことも、難しくなるかもしれない。
メディアの目的は、伝統的な「当たる予想印(回収率)!」の提供から、「独自の検討材料(情報)」に変貌してきているので、彼らが「独特な情報や予想アプローチ」を出せば出すほど、たくさんの人がたくさんの情報を、それぞれ独自の比重で利用して、いろんな予想をし始めるので、オッズは割れるし、「混戦でないものが混戦」に見えてきたりすることもある。

レース結果において(着順)

「決定的な差を生む要素(情報)」と

「そうでない(従属的、派生的)要素(情報)」

を区別して、その重み(取り扱う比重)を考え、最後は馬同士を比較する際に当該情報の価値(主要評価指標の優劣序列に対して、その付属・派生的要素が今回条件下で、どの程度、序列~勝ち負け~を左右する比重を持つか?という意味での価値)を見極めることが非常に大切です。

【厩舎の行動原理】

レースは1回きりではないし、多くの厩舎にとって「ダービー」が終着点ではありません。厩舎は馬主に対して、数年かけて高額な購入代金をペイすることがまずは責務であり、そういうことを何年も積み重ねて信頼を築き、その信頼の基盤の上に、良血馬の預託が重なり、ビッグレース制覇やダービーという高みが見えくるわけです。

よって、故障や成長を遅らせる程の強い疲労を残すような無理をせず、馬ごとに異なる成長曲線に合わせた調教をしながらコンスタントにレースを使い、レースの中での教育もしつつ(当該レースでの着順に拘りすぎず)、レベルアップと賞金上積みを並行して進めていくことが基本となります。

「ソエを痛がっていてね・・・」という厩舎関係者の声をよく聞きますが、それは「若駒の際の強めの調教」によって発生するものです。思い過ごしかもしれないが、一昔前に比べると、最近その声(ソエを痛がっている、という声)をめっきり聞かなくなったような気がします。多分「気のせい」ではなく、これだけ「超大手オーナー(ブリーダー)」が力を持ち始めると「厩舎の意向」だけで、若駒を成長途上なのにスパルタ式で鍛えるなんてことはできなくなってきているような気がします。厩舎は、「この馬は2歳でがんがん走らせて、垂れたらこの馬を3歳で活躍させてダービーまでフルにがんばってもらった後は、古馬はこの馬たちに・・・」ということができた時代も過去にはあったでしょうが、今はどうでしょう?

高額なサラブレッドが使いべりして、へとへとになっても「名門厩舎」であれば有力馬主からは「引く手あまた」で、どんどんいい馬が入ってきたのが昔でしたが、それは馬主よりも厩舎の立場が上だったり、まあ対等くらいだったりした時代だった頃。

今は、金の卵を産むような超優秀な種牡馬をワンサカ抱え、生産施設も、育成施設も、厩舎に預けた後もトレーニングセンター顔負けの外厩施設まで擁する「スーパーオーナーブリーダー」がいて、到底、厩舎が物申せる関係じゃない。おそらくスーパーオーナーブリーダーは、「しっかりとした医学的根拠と経験」によって、どういう育成方法が成長を阻害せずにベストか?がわかっているので「厩舎での調教に無理をさせなくなった」し、その無理させなくなった分は、「すばらしい施設とすばらしいスタッフで充実した外厩施設」でじっくり乗り込むことによって補っているということ。変にハイペースで引っ張る馬が減ったのも、距離体系の整備だけでなく、そういう背景があるのかもしれない。

そんな時代背景も手伝って、「ここが一世一代の勝負」とか、「潰れてでも無理して勝ちにいく」っていう試みは滅多になく、高額な経済動物を「大切に永く走らせたい」という調教師の共通の願い(オーナーブリーダーの強い意向、影響を受けた)の下で、「レースの流れがスローになりがち」という現象や、「スタート後の隊列はあまり乱さない」という現象が「不文律(暗黙のルール)」として起きるような気がします。我々が思うほど、一回一回のレースの勝ち負けに「不文律を乱してまで目の色を変える」ことはなく、それは「手を抜いている」とか、「馴れ合い」ではなくて、故障・激しい疲労残りが懸念される「一撃必中」よりも、順調に使い続けることを優先した方が、馬の成長も阻害しないし、競走馬生涯トータルでの利が、はるかに大きいという「お互いの」※経済合理性に基づく判断に見えます。

そしてその原理は、厩舎の意向を受ける騎手の判断においても概ね当てはまる。騎手の場合には強引に勝ちに行く騎乗は事故の原因にもなるので、なおさらですね。

※レースに出走すれば、全馬に出走手当金
 が支給される上に、賞金は1着馬以外に
 も支給される。最下級条件戦の500万下
 条件であれば、

  1着馬 750万円
  2着馬 300万円
  3着馬 190万円
  4着馬 110万円
  5着馬 75万円
  6着馬~8着馬には40~60万円

と、そこそこの賞金額。4着でも賞金と出走手当合算すれば(レース距離にもよりますが)、200万円ほどの実入りがあった上で、次のレースは(勝ち上がらないので)、また同レベルの相手と走れる!


【騎手について】

馬主や厩舎の意向に従うのが基本。「高額な馬を、大切に育てていかなければならない」場合、目先の勝ちにこだわった無理をさせず(無理なレース運びで勝てたとしても)、折り合いを覚えさせたり、敢えて馬群に入れて我慢を覚えさせたり、次の目標レースに疲れを残さないことも要求される。

例えば、「大きく出遅れた馬」が馬群を必死に追いかけないケースを「無気力騎乗だっ!!」と我々は怒り狂うが、出遅れたまんまチンタラ走って「16着」になるところを、「出遅れた後、追って追って追いまくって12着」にしたところで、馬はレース後に疲労困憊するし、「レースは序盤から飛ばしまくるもの」という間違った「学習」になりかねず、おまけに「16着も12着も」賞金が一銭ももらえないのは同じで、該当馬の関係者には何一つ良いことはない。

例えば、「好位差し」の有力馬が「スタートゲートから第1コーナーまでの距離が短いコースで、不利な18番ゲートに入った」ケースですが、「無理に好位を確保しに行って、外目をまわらされた上に、ひっかかってしまう」ので、ゆっくりゲートを出して、外を回り過ぎないように(コースロスを意識しつつ)、後方15番手に下げ、折り合わせて4着になった場合、無気力騎乗と言えるか?

ここで言いたいのは、「無気力騎乗とは何か?」ということではなくて、「スタート直後」や「スタートの前」であっても、つまり「我々がまだレース中だろ?レース終わってないだろ?しゃにむに無理して勝ちに行く姿勢を見せろ!」と思っている時間帯であったとしても、騎手(ないし騎乗方法への指示元の調教師や馬主)は、「次のレース以降の馬への影響をも含めた判断をした上で騎乗方法(勝負を捨てているように見える)を選択しているケース」もあるかもしれないってことです。
 
当該レースの勝ち負けが重要なのは言うまでもないが、「姿勢(ポーズ)よりも結果と今後への影響」こそが大切なので、ポーズにこだわって、ぼろ負けしたり、故障したり、レースができなくなったりしたら元も子もない。
     
【大手馬主の寡占化影響】
これだけ一部の馬主グループ(しかも生産・育成もやっちゃうスーパーオーナーブリーダー!!)の寡占化が進めば、同一レースに同一馬主グループの馬が多数出走するケースは頻繁に発生します。

その際、「勝負をかけて準備してきた馬」の勝つためのレース運びを、「身内(同一馬主や同一グループに属する馬主)」が妨害するようなことがないのは当たり前ですが、身内の馬でない陣営(厩舎、騎手)とても、それを邪魔するような行為は、当該馬主グループの怒りを買い、自分たちへの有力馬入厩や騎乗依頼がなくなるという死活問題につながります。

有力馬主グループの有力馬には、「スムーズにレースを運べる環境が整うケースが多い」ということを覚えておくべきでしょう。

16.騎手の技量の影響について

「馬8、人2」とか、「馬7、人3」とかって表現がよく使われますが、私は相当、違和感を感じています。

馬と騎手は別の要素で、一括りで論じることの意味がわからない。つまり、こういうことです。

Aという全く同じ馬に、年間200勝、年間5つも、6つもG1を勝つようなリーディングトップジョッキーが乗るのと、年間50勝前後の勝ち星で、G1は、生涯で2つ、3つというそこそこの騎手が乗るのとで、結果は同じなのかと?全然違いますよね?多分。

例えば、将来G1馬になるであろう強豪馬が、出世前の最下級条件レースに出て、周りの10頭は、引退まで「もうひとつも勝てない弱い馬」だったとします。このレースでは、おそらく出遅れて最後方から進めても直線だけ追えば「誰が乗っても」勝てるんでしょう!
しかし!

ステージが上がって、G1レースで、まわりもG1候補ばかり。そこで出遅れたり、内に閉じ込められたまんま、道中、コースが空くタイミングは何回かあったのに、最後まで追えず・・なんてことが起きれば、それは騎手の腕で負けたわけです。

つまり馬がレースで力を出し切れるかどうかは、100%騎手の腕にかかっているわけで、「強ければ誰が乗っても同じ」なんてことはないと、私は思ってます。
日本人だと岩田騎手、海外の腕達者ならデットーリやムーアは、直線での馬の伸びが一際目を惹きますが、ルメールの道中のスムーズは、秀逸ですよね。ルメールが手綱を引っ張って立ち上がったり、内で詰まったりしたシーンを見たことがない。内にいても外にいても、いつの間にか「いつでも上がっていけるいいポジション」をスムーズに走っている。スタートから、あのポジションに至るまでのプロセスは、明らかに「匠の技」ですよ。ルメールの馬券を買ってて外れたら、本当にあきらめがつきます。逆にいうとルメール以外を買うのを躊躇ってしまうんですね。
今、日本で一番、上手いのはルメール。モレイラも凄いし、デムーロも頼りになります。とにかく、騎手は極めて重要な要素です。ただし、気をつけなくてはならないのは、「決して弱い馬を強くする能力までは騎手にはない」ということをお忘れなく!
最近、モレイラの乗る馬が、何から何まで1番人気になるのを目にしますが、「そりゃあ、無理だろ?」というのが散見されます。明らかな課題を持っている馬(スタートが悪いとか)が、毎回、直線であと一歩のところまで来ているので、スタートのいいモレイラで!というなら「勝ち」を期待してもいいでしょうが、「スタートもいいし、折り合いもいい馬で、毎回6着~7着」というのであれば、モレイラによる上積みをそんなに期待しない方がいいかもしれない。